【徹底解説】世界一周旅行をした王様!日本との関係も深いカラカウア王

カメハメハ大王がハワイを統一してから100年も続かなかったハワイ王国。
この間、8人の王と女王がハワイを治めていました。
その第7代の王様が、カラカウア王です。
『メリーモナーク(陽気な王様)』というニックネームが付けられるほど、音楽に長け、新しい物好きの、とっても明るい王様でした。
世界一周の際には、日本にも立ち寄り、明治天皇と会見したことでも有名です。
今回は、日本にも関係の深いカラカウア王についてご紹介しましょう。

迫害されていたフラを復活。フラの祭典『メリー・モナーク』の由来となる王様

ハワイの人々は、欧米からやってきた宣教師によって、野蛮で文明が低いとみなされ、ハワイ語、ハワイの神々への信仰など、ほとんどすべてのハワイ文化・習慣が禁じられていました。
裸同然の格好で体をくねらせて踊るフラは、みだらだという理由で、公に踊ることも、教えることも禁じられていたのです。

そんな時代にあっても、カラカウア王はハワイ文化の保護に努めました。
自分の50歳の誕生日を祝う宴で、フラを躍らせてハワイ文化を復活させたのです。
毎年、ハワイ島ヒロで行われるフラの祭典『メリー・モナーク』は、カラカウア王の偉業を称えて、王のニックネームから名づけらました。
ハワイの文化を守ってくれたカラカウア王は、今でもハワイの人々に愛されています。

幻に終わった日本とハワイの結びつき

当時、ハワイ王国には欧米の実業家たちがどんどんやってきて、ハワイの経済や政治に力を持つようになってきていました。
そんな時代にあって、カラカウア王は世界一周の旅に出ました。
日本をはじめ、中国、アジア、ヨーロッパ諸国を10カ月かけて巡りました。
表向きは見聞を広めることでしたが、実は「諸外国にハワイ王国の存在を認めさせる」という外交や、労働者不足を解消するための移民交渉が目的でした。

カラカウア王は特に日本との関係を重視していたようです。
来日した際に、密かに明治天皇に謁見し、自分の姪であるカイウラニ王女と、日本の皇族の山階宮定麿王との結婚を申し入れたという話は有名です。
なんとしても日本との関係を強化して、アメリカに対抗したいと考えていたのでした。
結局、日本政府から丁重に断られ、実現には至りませんでしたが、もし実現していれば、歴史はずいぶん変わっていたでしょう・・・。
一方で、カラカウア王の申し出を受けるというかたちで、日本からの官約移民が開始されました(1885年)。

当時の最先端設備!アメリカ唯一の宮殿、イオラニ宮殿を建てたのもカラカウア王

1882年、カラカウア王の命により、イオラニ宮殿が完成しました。
新しい物好きのカラカウア王は、当時の最先端ヴィクトリア様式を取り入れ、発明されたばかりの電気、電話、水洗トイレをつけたというから驚きです!
なんとイギリスのバッキンガム宮殿や、アメリカのホワイトハウスよりも導入が早かったと言われています。

ハワイに行く機会があったら、ぜひイオラニ宮殿を見学してきてください!
当時使われていた電話やトイレなども見ることができますよ。
また、カラカウア王が使っていた部屋や調度品なども見ることができます。
国費の無駄遣いだと非難されたようですが、世界にハワイ王国を認めさせるためにも必要だと、カラカウア王は思ったのでしょう。
世界と比べても見劣りしない設備や調度品をぜひご自身の目で見てみてください。
日本語のツアーもありますよ。

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