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ハワイを統一した偉大なカメハメハ大王

ハワイ好きなら、誰もが知っているカメハメハ大王。

オアフ島ダウンタウンにあるイオラニ宮殿に向かって、片手に槍を持ち、黄色の羽のマントを翻して建っているカメハメハ大王像の前で、記念撮影をしたことのある人も多いでしょう。

今回は、知っているけど詳しくは分からない、カメハメハ大王についてご紹介しましょう。 

生まれる前から、ハワイに君臨すると予言されていた・・・?!

18世紀半ば、まだ白人がハワイを発見する前のことです。ハワイの各島はいくつもの地区に別れて、それぞれの地区をチーフが治めていた時代でした。

カメハメハは、ハワイ島の、ある地区のチーフの息子として生まれました。

生まれる前から「ハワイのチーフをすべて倒し、ハワイの王となる子どもが生まれるだろう」と予言されていました。それを物語るかのように、カメハメハが生まれたときには、夜空には巨大な彗星が現れたそうです。

そんな予言がされたために、敵から命を狙われることになりました。そこでカメハメハは生まれるとすぐに両親と引き離され、人里離れた山の中に隠されて、5歳になるまで育てられました。

そんな生い立ちから、“孤独な者”という意味の『カメハメハ』という名前が付けられたのです。

立派な戦士として成長

5歳になったカメハメハは、両親のもとで暮らすようになり、すくすくと成長しました。小さいころから身体が大きく、力も強く、泳いでも走っても、ほかの子どもに負けることはありませんでした。

少年になったカメハメハは、ハワイ島で最も力もあるチーフだった伯父のもとに預けられ、戦士として必要な知識や武術を身につけることになりました。そこでカメハメハは、戦士としてどんどん頭角をあらわしていったのです。

 

カメハメハがどんなに力持ちだったのかを物語るエピソードがあります。

現在、ハワイ島ヒロの街の市立図書館の前に、ナハストーンという巨大な石があります。これは、かつて偉大なカフナ(神官)が、この石を持ち上げた者はハワイの偉大な王になると予言した石でした。

それをカメハメハはみんなの見ている前で、持ち上げて見せたのです! それもまだ14歳だったというから驚きですね。

*写真は、王になる前にカメハメハが持ち上げたと伝えられている石(手前の石。ナハ・ストーン)。

こうしてカメハメハは、伯父のもとで戦士として必要な訓練を受け、何度も戦いにも出て実践を積み、立派な戦士に成長したのでした。 

ハワイ島のチーフから、ハワイ諸島を統治する一国の王へ

やがて育ての親である伯父が病に伏せるようになりました。自分の死期を悟った伯父は、息子にハワイ島の統治を、そして甥のカメハメハに戦いの神クーカヒリモクの管理を譲ると遺言を残しました。

伯父の死後、ハワイ島は伯父の息子が統治したのですが、カメハメハ側につく者も多く、ハワイ島は大きく2つに分かれて戦うことになりました。そしてある時、カメハメハの味方が息子を倒し、事実上カメハメハがハワイ島を治めることになりました。

当時のハワイは、1778年にジェームズ・クックがハワイを訪れたことをきっかけに、白人がどんどんハワイに訪れるようになった激動の時代でした。

そんな中、カメハメハが欧米文化に触れて、もっとも興味を持ったのは銃や大砲でした。それまでハワイには金属はなく、武器といえば石や木に動物の歯や骨を使ったものだったからです。

カメハメハは白人から武器を手に入れ、武力を増大し、マウイ島、モロカイ島、ラナイ島をつぎつぎと支配し、オアフ島を征服し、カウアイ島の支配権を手に入れていきました。

こうして1810年、カメハメハはハワイ諸島を統一したのです。 

平和を愛した偉大なる国王

ハワイを統一したあと、カメハメハは戦いを嫌い、平和を愛したと言われています。

晩年をマウイ島カイルアで過ごし、作物を育てながら穏やかに過ごしました。

「年老いた者、女、子ども、誰もが安心して道で寝ることができること」(『ママラホエ・カナヴァイ(折れた櫂の法律)』)という、平和な法律を定めたことでも知られています。いかにもハワイ的な表現ですね。

1819年、カメハメハ大王が亡くなったときは、海はアーヴェオヴェオという赤い魚で真っ赤になったと言われています。

王の遺骨は、現在でもどこにあるのか公にされていません。王の遺骨には、マナと呼ばれる神秘の力が宿っていると考えられていて、敵対するものに盗まれる恐れがあるために、どこかの谷や山の奥深くの洞窟に隠されていると伝えられています・・・。