ハワイ王国 母と娘の物語 〜母・ケオプオラニ、娘・ナヒエナエナ〜 第2話
Aloha! 『Surf Room ~ハワイの歴史を旅しよう~」担当、ハワイ歴史と神話の愛好家のMari Udagawaです。
今回は、ハワイ王国のとある家族の物語についてお話します。
ハワイ王国 母と娘の物語 〜▶ 母・ケオプオラニ、娘・ナヒエナエナ〜 第一話はこちら!|LaniLani
カメハメハ大王の妻は何人いたのか
カメハメハ大王には20人以上も妻がいたといわれている。
カメハメハ自身が望んで妻にした女性もいれば、同盟を結んだ王族から娘を妻にと乞われて受け入れたことも少なくない。
何人かお妃のお名前をあげてみよう。
「カラクア」は孫がカメハメハ4世、5世となったひと。
「カネカポレイ」はビショップミュージアムの名前であるバーニス パウアヒがひ孫である。
大王の死後に別の王族と結婚し、ルナリロ王の母となった「ケカウルオヒ」。
そして大王一番の愛妃「カアフマヌ」。
しかしカアフマヌとの間には子供がいなかった。
ケオプオラニの使命
カメハメハがケオプオラニに望んだことは高貴な血筋を残すこと。
ケオプオラニは17歳でカメハメハの妻となって以来、出産した子供は11人とも12人とも言われている。
最後に誕生したのがナヒエナエナでケオプオラニが37歳の時の子供である。
20年間で11人の子供を出産したと考えてみると、彼女の使命がいかに過酷であったかがわかると同時に、なんと心身ともに強い女性であったことかと思わずにはいられない。
ケオプオラニは穏やかで優しい人柄であった。
高貴であったが、それを笠に着るようなことはなく、ひとを思いやることのできる女性だったことを伝える逸話がある。
ケオプオラニの影を踏むとその人は処刑されるというカプ(法律、掟のようなもの)があった。
ならばと、ケオプオラニは明るいうちは外出を避ける。
日が落ちて影ができない暗い時間にしか外へ出ない。
こんな優しさの中に秘められた逞さが彼女を支え、カメハメハの妻としてたくさんの子供を生むことができたともいえるのではないか。
カメハメハとケオプオラニ
カメハメハをケオプオラニの母親サイドからみると、母の兄なので叔父となる。
しかし父親側をみるとカメハメハは父・キワラオの首を取った敵軍の大将である。
ケオプオラニにとって父の死は幼い頃の出来事であり、彼女の持って生まれた性格から考えてもカメハメハに対して父の仇という意識は薄かったのかもしれない。
また一説ではケオプオラニの高貴な血をカメハメハに差し出すことでキワラオ一族(といってもカメハメハの血縁でもあるが)の命乞いをしたとも言われており、ケオプオラニが一族のために犠牲になったという思いに囚われなかったとも言い切れない。
いずれにしても様々な思いを乗り越えてカメハメハの妻となり、たくさんの子供を生んだケオプオラニ。
もしケオプオラニに憎しみや犠牲という思いがあったとしても、そんなことなど一蹴してしまうほど、カメハメハという男は偉大であったのだろう。
ケオプオラニは10人以上出産したものの成人したのはたった3人。
カメハメハ2世となるリホリホ
カメハメハ3世となるカウイケアオウリ
そしてナヒエナエナ。
そういう時代だったのかもしれないが、生んでも生んでも育つことのない子供たちに、母はどれだけ涙を流したのだろうか。
愛娘・ナヒエナエナ
リホリホもカウイケアオウリも自らの手で育てることが叶わなかった母はナヒエナエナを身籠ったときにふたつのことを決意する。
最後の出産にすること
自分のそばにおいて成長を見守ること
1815年、ハワイ島で生まれたプリンセス・ナヒエナエナ。
その名の意味は「真っ赤な猛烈な火」である。
名前の通り、激しく燃え盛る炎のように熱く、またそんな炎に焼かれるような苦しみを抱えた短い人生となると誰が予想しただろうか。
第三話へつづく