ハワイ王国 母と娘の物語 〜母・ケオプオラニ、娘・ナヒエナエナ〜 第1話
Aloha! 『Surf Room ~ハワイの歴史を旅しよう~」担当、ハワイ歴史と神話の愛好家のMari Udagawaです。
今回は、ハワイ王国のとある家族の物語についてお話します。
最後に、オンラインで参加できるハワイ旅行に関する情報もお届しますので、ぜひ最後まで読んでくださいね。
ラハイナのバニヤンツリー
ラハイナの港のそばにあるバニヤンツリー。
これは元となる幹が四方に枝を伸ばし、そこから気根を大地におろして、あたかもたくさんの木が集まったかのように見えるが一本の木である。
ラハイナの町のはずれに根付いた小さな森にも見える。
このバニヤンツリーはハワイでキリスト教の布教が始まって50年を記念して植樹されたもので、この木の来歴を記したプレートにはある王族女性の名前が刻まれている。
その名はケオプオラニ。
偶然なのか、カメハメハ大王の死を待っていたのか、大王が亡くなった翌年、1820年にアメリカからハワイへ最初の宣教師がやってきた。
カメハメハ大王の息子が即位しカメハメハ2世となっていたが若い王は宣教師の来島に戸惑い、なかなか上陸の許可を出さなかった。
その背中を押したのはカメハメハ2世の母・ケオプオラニで、宣教師がハワイ王国の地に降り立つことができたのは彼女の後押しがあったからといっても過言ではない。
バニヤンの木のようにキリスト教もハワイに根を下ろして広まり、古代のハワイの文化や習慣とは全く異質のものながら受け入れられていった。
母と娘の物語
これから始まるのはある母と娘の物語。
母が招き入れた新しい価値観は、母には新しい世界を見せ、癒しとなった。
しかし娘は古の慣習と新しい社会常識の間で苦しみ、若い命を散らす結果となってしまった。
母・ケオプオラニ、娘・ナヒエナエナ。
カメハメハ大王の妻と娘の物語である。
ケオプオラニ
むかし、太平洋の美しい島に生まれたプリンセスがいた。
ケオプオラニ。
彼女は戦乱の世に生まれ、その血の高貴さゆえに数奇な人生を歩むこととなる。
ケオプオラニはマウイ島、ワイルクの生まれ。
現在のマウイ島の玄関口、カフルイ空港の西隣にあるのがワイルクの町。
幼少期には一時ハナで過ごしたあとワイルクに戻っている。
父は戦よりも風流なことを好むといわれたキワラオ。
ハワイ島のアリイ・カラニオプウの後継者。
母はのちに大王となるカメハメハの腹違いの妹、ケクイワポイワリリハ(以降、リリハと表記)。
キワラオとリリハは同じ父をもつ異母兄妹で、この組み合わせから生まれた子供はハワイの王族では「ナハ」と呼ばれるとても高いランクに位置付けられる。
ハワイの王族にはランクがあり、血の純血性がそのランクを分けるひとつの決め手となっていた。
カメハメハでさえも着衣を脱ぎ膝立ちで近寄らなければならないほどの存在だったと言われていたのがケオプオラニである。
父・キワラオがハワイ島モクオハイの戦いでカメハメハに敗れて命を落とした時、ケオプオラニはわずか4歳。
カメハメハがハワイ諸島を統一してハワイ王国を建国したのは1795年なので、モクオハイの戦いからはまだ10年以上も戦国時代は続いていく。
ケオプオラニが12歳の頃にはマウイ島でも戦が起こる。
マウイの王、カヘキリは当時オアフ島を拠点としており、ケオプオラニ一行はそこへ逃れようとイアオ渓谷から山越えをしてラハイナを目指した。
そして海を渡りモロカイ島まできたところでカメハメハ軍に捕まってしまった。
カメハメハはケオプオラニの血の高貴さに目をつけ、将来妻に迎えるを思い付く。
カメハメハは1758年の生まれと言われており、ケオプオラニよりも20歳も年上で、すでに20人とも30人ともいわれる妻がいたが、カメハメハはケオプオラニの高貴な血筋を手に入れたいと考えた。
そしてケオプオラニが17歳の時にふたりは結婚したのであった。
第二話へとつづく
マウイ島へのいざない
ケオプオラニゆかりの地、マウイ島。
マウイ島は美しいだけでなく、ハワイの歴史においても重要な島です。
カメハメハ大王の愛妃・カアフマヌ、そしてカメハメハ2世、3世の母・ケオプオラニ、どちらもマウイ島生まれの女性です。
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