ハワイ王国 母と娘の物語 〜母・ケオプオラニ、娘・ナヒエナエナ〜 第5話
Aloha! 『Surf Room ~ハワイの歴史を旅しよう~」担当、ハワイ歴史と神話の愛好家のMari Udagawaです。
今回は、ハワイ王国のとある家族の物語についてお話します。
ハワイ王国 母と娘の物語 〜 母・ケオプオラニ、娘・ナヒエナエナ〜 第4話はこちら!|LaniLani
少年王・カメハメハ3世
人間の記憶。
幼稚園から小学校低学年頃のことを大人になってどれだけ覚えているだろうか。
両親や兄という肉親が亡くなったということは、理解はできなくても記憶はしているだろう。
そしてその時味わった感情が孤独という名のものであることを成長してから知り、その時期を共に過ごした相手との間に深い絆ができるのは自然なことでもある。
そしてその強すぎる絆を一方では奨励され、また一方では禁じられ、どちらが正しいのか判断がつかなければ、なんとなく甘い香りのする方へ歩き出してしまっても責めることはできない。
王座には就いたものの、少年王・カメハメハ3世に一国を背負うことは荷が重過ぎる。
「王」と周りから呼ばれても決定権もなく、大人のいいなりの時期もあったであろう。
王だから言えるわがままがある一方で、少年王には窮屈で煩わしいことのほうが多かったに違いない。
たったひとりの肉親、妹・ナヒエナエナ。
唯一の味方で、心許せる存在で、許嫁でもある。
いや、あった、なのか。
妹は未来の王妃
少年王よりふたつ年下の王女は、きっと少しおませな少女だったのだろう。
兄が妹を異性として意識するより、妹の方が兄を愛し始めたのが先だったのではと思う。
愛する兄と一緒になり、王妃となる。
幼い頃はみんながそれを望んでいた。
そうなることが当然だと思っていた。
国中に祝福されて、兄と夫婦となる。
そう信じてきたのに一体いつから、それを責められようになったのか。
1815年に生まれたプリンセス・ナヒエナエナ。
1819年、父・カメハメハ大王逝去
1820年、アメリカからの宣教師の来島
1823年、母・ケオプオラニの死
宣教師がハワイに来島してわずか3年後に亡くなった母は死の床で洗練を受けてクリスチャンとなった。
3年前には未知のものであったキリスト教は深く母の心に入り込んだ。
それと同じ、またはそれ以上にハワイの人々の心や暮らしにキリスト教は根付き始めたのだった。
それにならい、ナヒエナエナ王女も教会に通っていた。
高貴な兄妹にとってキリスト教をはじめ西洋の文化や生活様式は幼い頃から慣れ親しみ、習慣といってもよかったはず。
でもそれとふたりの結婚はまた別の話と理解していたのではないだろうか。
神にも匹敵するふたり
ハワイの王族のランクは血筋に重きを置かれるがそれを覆すことができるものは自身で手に入れた権力である。
ハワイ史上最高最大の権力を手にしたカメハメハ大王。
大王自身は決してハイランクの王族ではなかった。
加えてハワイの王族は母方の血統を重要視していた。
ゆえにカメハメハがぜひにと望んだケオプオラニの高貴な血筋。
そのふたりの息子と娘である。
神にも匹敵する高貴な兄妹であった。
いわゆる思春期を迎えた頃、ふたりはお互いに結婚を意識する。
宣教師たちは反対する。
しかし兄と妹はふたりで夜を過ごすようになる。
キラウエアへの旅
1828年、ふたりはキラウエアを旅している。
もちろんふたりきりではなく家臣を伴っての旅ではあった。
当時カメハメハ3世はホノルルで、ナヒエナエナ王女はラハイナで暮らしていた。
兄王はラハイナまで妹を迎えに行き、ふたりの生まれた島、ハワイ島を目指した。
キラウエア火山でふたりは溶岩を見つめていたという。
熱い炎をどんな思いで見つめていたのだろうか。
第6話へ続く
ハワイ王国 母と娘の物語 〜 母・ケオプオラニ、娘・ナヒエナエナ〜 第1話|LaniLani
ハワイ王国 母と娘の物語 〜 母・ケオプオラニ、娘・ナヒエナエナ〜 第2話|LaniLani
ハワイ王国 母と娘の物語 〜 母・ケオプオラニ、娘・ナヒエナエナ〜 第3話|LaniLani
ハワイ王国 母と娘の物語 〜 母・ケオプオラニ、娘・ナヒエナエナ〜 第4話|LaniLani
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