ハワイ王国のふたつの王家「カメハメハ家」と「カラカウア家」をつなぐ紋章
Aloha!
これまで「ハワイ王国の王家」に関するお話をいくつか書いてきましたが、このタイトルでは最終話となります。
カメハメハ家とカラカウア家。
今日は両家を繋ぐ象徴とも言えるハワイ王国の紋章を見ていきましょう。
ハワイ州の紋章
まずは現在のハワイ州の紋章をご覧ください。
ハワイに行って見たことがあるけど、これがハワイ州の紋章なのかハワイ王国の紋章なのか、どちらだろう?と思ったこともあるのではないでしょうか。
このハワイ州の紋章はハワイ王国の紋章を元にデザインされたもので、ハワイがアメリカの50番目の州になった年、1959の数字が入っています。
紋章に描かれた2人の人物、左はカメハメハ大王、右は自由の女神なのです。
自由の女神が描かれていることでアメリカの一州だとアピールしているように見えますね。
ハワイ王国の紋章
これはイオラニ宮殿の門のハワイ王国の紋章です。
ハワイ州の紋章の中央は朝日のデザインでしたが、王国の紋章では王冠が描かれて王国らしい雰囲気がありますね。
王冠の土台にはタロの葉がデザインされているんです。
このハワイ王国の紋章、ハワイ王国ふたつの王家、カメハメハ家とカラカウア家を繋ぐものとしてとてもふさわしい方が描かれています。
右・カメエイモク
左・カマナワ
ロイヤルツインズと呼ばれる、ハワイ王国の双子です。
カメハメハ大王がハワイ諸島を統一してハワイ王国を建国した際の立役者のふたりです。
ロイヤルモザリアムのハワイ王国の紋章
ヌウアヌのロイヤルモザリアム、ハワイ王家の霊廟です。
ここにはこんなゴールドの王国の紋章があります。
ここは門を入ると正面にカラカウア家の墓所があり、その外側にカメハメハ家の墓所があります。
私にはカメハメハ家の2世から5世までの王が霊廟の端の方にいらっしゃることが疑問でした。
ハワイ王国はカメハメハ家、カラカウア家に大別されるかもしれないけど、その血筋を遡れば血が繋がっている。
でも霊廟では完全に両家は別々です。
過去に両家の間で何かあったのではないでしょうか。
それがうかがえる出来事をご紹介しましょう。
古のハワイの王は死後にその亡骸の埋葬地を秘密にしていました。
カラカウア家の先祖はその亡骸の世話をする役目にありましたがカメハメハ大王の父の死後、その秘密が守られず、カメハメハ大王は自身の亡骸については別の人にその世話を頼んでいます。
またイオラニ宮殿が完成したその翌年にカメハメハ家のルース王女(カメハメハ大王のひ孫)はイオラニ宮殿より大きく豪華であったと伝えられているケオウアハレを建てています。
当時ハワイ一裕福な人物であったと言われるルース王女。
カメハメハの血に誇りを持っていた方ですが時の王の宮殿よりも大きなお屋敷を建てたのには
「カメハメハ家、ここにあり」
との彼女の思いがあったのではないでしょうか。
カメハメハ家とカラカウア家を繋ぐカマナワとカメエイアモク
ハワイ王国の紋章に戻りましょう。
紋章に描かれたふたり。
右のカメエイアモクはそのひ孫がカラカウア王とリリウオカラニ女王というカラカウア家に繋がっていく人です。
左のカマナワは娘のペレウリがカメハメハ大王のお妃となったり、カメハメハ大王の父の死後に大王の母と結婚するなどカメハメハ家ととても深い繋がりを持つ人です。
この紋章がデザインされたのは1845年といわれています。
カメハメハ3世の治世で、のちにカラカウア家が王家となるとはまだこのデザインを作った人・ティモシーハアリリオは思いも寄らなかったことでしょう。
ハワイ王国にはカメハメハ家とカラカウア家、その間にあるルナリロ王がいて、カウアイ島にはもうひとつの王家がありました。
王国の紋章は「ハワイ王国の象徴」としてだけではなく「カメハメハ家とカラカウア家両家を結ぶ象徴」ともなったのでした。
ハワイ王国のふたつの王家に関するお話は今回で一旦終了しますが、まだまだご紹介しきれていない逸話がたくさんあります。
私のブログ・旅ハワイでもハワイの歴史やハワイ王国の王族をご紹介しています。
ハワイの歴史を知ると、ハワイ旅行がより楽しくなります。
ぜひブログも読んでみてくださいね。
次回はマウイ島ラハイナを舞台にハワイの歴史を旅したいと思います。
Mahalo!