【徹底解説】ハワイ王国が初めて選んだ6番目の王「ルナリロ王」の正体は?
Aloha!
ビル王子。
「イザベラバードのハワイ紀行」でそう紹介されているのはハワイ王国6番目の王、ルナリロ王です。
ルナリロ王は、たった1年の在位期間でした。
そして気になるポイントは、なんとハワイの二つの王家「カメハメハ家」と「カラカウア家」でもない王ということ。
今日はルナリロ王のお話です。
カメハメハ家でもカラカウア家でもない王
カメハメハ大王とその直系のカメハメハ2世から5世までの王は5人。
カラカウア王と妹のリリウオカラニ女王の2人。
その間でたった1年の在位期間だったのが「ルナリロ王」でした。
まずは上の相関図をご覧ください。
即位順だけでなく、生まれもちょうどふたつの王家の間のような王ですね。
相関図の最下段、カメハメハ4世からリリウオカラニ女王まで、みんな同世代。
同じ時代を生きた王族だったことがわかりますね。
カメハメハ大王の父・ケオウアの血をひく王なのでカメハメハ家の王と言われることもありますが、ルナリロ王の生涯を見ていくと、王自身はそう思っていらしゃらなかったのではないでしょうか…
ハワイ王国が選んだ王
ルナリロ王は、ハワイ王国で初めて選挙で選ばれた王でした。
なぜ選挙が行われたのでしょうか。
ハワイ王国の王は指名制でした。
現王が次期王を指名しておいて、現王が逝去すると次期王が即位する。
ルナリロ王はハワイ王国で6番目の王です。
では、5番目の王は誰なのでしょうか?
カメハメハ5世、ロットカプアイワですね。
カメハメハ5世は結婚しておらず、子どももいませんでした。
5世の次の王は当然ルナリロが指名されると、誰もがそう思っていたといいます。
5世は、自分と同じカメハメハ大王の孫にあたるバーニスパウアヒビショップに、次期王になってほしいと頼んだこともありましたが断られ、結局次期王を指名しないまま亡くなってしまいました。
そこでハワイ王国初の選挙が行われ、カラカウアを破ってルナリロが王となりました。
独身だった王
ビル王子として親しまれ、ハンサムで教養も高かったルナリロ王。
ハワイの若い王族女性の憧れの存在だったようですが、独身のまま生涯を終えられました。
ルナリロ王が作られた有名な曲「アレコキ」をご存知の方も多いと思います。
この曲はヌウアヌを舞台にしたルナリロ王とヴィクトリアカママル王女の悲恋が歌われたものですね。
ヴィクトリアはカメハメハ4世、5世の妹です。
若かりし頃、ルナリロ王とヴィクトリアは婚約していました。
しかしこの結婚に反対したのはヴィクトリアの兄たちだったといいます。
ルナリロ王はお酒が過ぎる傾向があったようで、それによる健康問題を理由にしていた様子もありますが、実はルナリロ王の高貴さを警戒していました。
ルナリロ王とヴィクトリアの間に子供が生まれると、先に結婚していたカメハメハ4世とエマ王妃の間に生まれる子供より高貴な血筋になってしまうのでした。
ヴィクトリアとの結婚が叶わないと思った時に、後のリリウオカラニ女王にも婚約を申し出られたこともあったとか。
カメハメハ家とカラカウア家の間で揺れるルナリロ王。
結局どちらとも結婚には至りませんでした。
早くに夫も子供も亡くされたエマ王妃にもプロポーズをなさったこともあるそうで、いまインターナショナルマーケットプレイスのある場所は、もともとはルナリロ王の所有でしたが、エマ王妃に譲られたという場所です。
お墓問題
現在、ハワイ王国の王族の多くはヌウアヌの王家の霊廟・ロイヤルモザリアムに眠っていらっしゃいます。
いまだ埋葬場所がわからないカメハメハ大王を除き6人の王たちがいらっしゃるのが王家の霊廟です。
1人足りませんね。
ルナリロ王はロイヤルモザリアムではなく、カワイアハオ教会を永眠の場所として選ばれました。
「人民のそばにいたい」との思いから王家の霊廟ではなくカワイアハオ教会を選ばれたそうですが、果たしてそれだけが理由だったのでしょうか。
前回、お話したケカウルオヒのことはご記憶でしょうか。
ルナリロ王の母であり、イオラニ宮殿にカメハメハ大王のお妃として、大王と並んで肖像画が飾られている方です。
ケカウルオヒはカメハメハ大王の愛妃として有名なカアフマヌ王妃の妹・カラクアの娘。
ケカウルオヒはカメハメハ大王の王妃となり、大王が亡くなったあとはカメハメハ2世のお妃となりましたが、その後カメハメハ2世の友人であったチャールズカナイナに嫁ぎ、ルナリロ王が生まれました。
カメハメハ家と繋がりも深く、大王や2世のお妃であったケカウルオヒ。
クヒナヌイ(摂政)としてもハワイ王国のために尽くされた方でした。
亡くなった後、イオラニ宮殿の敷地内にあった王家の墓所に埋蔵されましたが、そこが手狭になった時に、ヌウアヌにロイヤルモザリアムが建設されました。
その時になにかの間違いなかのか故意なのか、ケカウルオヒはロイヤルモザリアムに移されることはありませんでした。
当時ルナルロ王は大変このことに憤慨なさったそうです。
ルナリロ王の怒りは私も当然だと思います。
ケカウルオヒは血筋も申し分ない上にクヒナヌイでもあった。
何かの手違いでは許されないことでしょう。
母をないがしろにされ、カメハメハ家の王女との結婚も認められず、王への道も遠回りをさせられた。
そんなカメハメハ一族と同じロイヤルモザリアムでの永眠はきっと穏やかではない、ルナリロ王がそう思われたことは否定できないでしょう。
▶ 【徹底解説】ハワイ王国の王家「カメハメハ家」と「カラカウア家」のつながり|LaniLani
イオラニ宮殿にて
イオラニ宮殿のホールに飾られたルナリロ王の肖像画。
宮殿のホールに飾られた肖像画で、奥様のいないルナリロ王はひとりぼっちで寂しいのではと思っていました。
カメハメハ5世も独身の王でしたが、宮殿ホールにはファミリーが揃っています。
でも、心配はいりませんでした。
カメハメハ大王のお妃としてのケカウルオヒとルナリロ王、ちょうど向かい合わせとなる場所におふたりの肖像画は飾られています。
ここでは唯一の母と息子です。
ハワイの王族はハナイ(養子や里子のようなもの)として実の親とは離れて成長する人が多い中、ルナリロ王は実の母に育てられた王子でした。
カメハメハ家とカラカウア家の狭間で生きた王は他の王とは違った苦悩があったと思います。
でもここでは母と向かい合い、母の優しい微笑みを毎日見つめながら過ごしていらしゃるルナリロ王です。
そのことが私にはとても嬉しく、宮殿にお邪魔するたびにおふたりのお顔を見上げてなんだかホッとするのでした。
今日もお読みいただきありがとうございました。
ルナリロ王のことはこちらでも紹介していますので、ぜひご覧ください。
次回は「ハワイ王国ふたつの王家、もうひとつの王家」をでお目にかかりたいと思います。
Mahalo!
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