ハワイのカウボーイ(パニオロ)の歴史とは?

ハワイのカウボーイ(パニオロ)の歴史とは?

7月4日はアメリカの独立記念日。

毎年、ハワイでもお祝いの花火が上がったり、ショッピングモールの大セールが行われたりします。
ハワイのカウボーイ「パニオロ」にちなんだロデオ大会や競馬なども開催されます。

今回は、その「パニオロ」の歴史をご紹介します。

ハワイに牛がやって来た

ハワイ諸島には、もともと牛生息していません。
1778年、キャプテン・クックがハワイに上陸して以降、イギリスからいろいろなものがハワイに持ち込まれました。

1793年には、キャプテン・クックの仲間だった船乗りのジョージ・バンクーバーから、カメハメハ1世に5頭の牛が贈られ、ここからハワイと牛の歴史が始まります。

カメハメハ1世は、法律を作り、牛の捕獲を禁止して、ハワイ島のワイメア地区で飼育を始めました。
しかし、温暖な気候や天敵がいないことなどから、牛がどんどん増えて野生化していきます。
その結果、地元地域にも様々な被害が出るようになりました。

そこでカメハメハ1世は、牛の数をコントロールするために、懇意にしていたアメリカの軍人ジョン・パーカーに牛の猟を解禁し、塩漬けにした肉を捕鯨船に売るなど牛を使った商業を展開していきました。

ハワイにカウボーイがやって来た

その後カメハメハ3世は、ワイメアの人たちに牛の扱い方や牧場の運営方法などを指導するため、アメリカ本国より数人のカウボーイを呼び寄せました。
このカウボーイたちの多くが、メキシコから来たためスペイン語を話していたそうです。

これが由来となり、スペイン人やスペイン語を意味する「エスパニョール」という言葉が「パニオロ」というハワイ語に変化して、ハワイのカウボーイを指す言葉となりました。

パーカー牧場のはじまり

1847年にジョン・パーカーがワイメアに牧場を設立しました。
アメリカ最大級の規模で、東京23区と同じくらいの広さだとも言われています。
6代目まではパーカー家所有でしたが、現在はパーカー牧場・ファンデーション・トラストという慈善団体が運営しています。

数万頭の牛が放牧され、今でもパニオロが仕事をしており、カウボーイの伝統を感じますよね。
ロデオ大会は、第二次世界大戦の時に始まり、毎年アメリカの独立記念日である7月4日の恒例行事として有名です。
地元の工芸品や食べ物を楽しんだり、子供向けにポニーに乗る催しがあったりと、ロコに親しまれるお祭りとなっています。

パニオロの歴史に触れよう


参照:パーカー・ランチ・センター

ワイメア地区には、「パーカー・ランチ・センター」というショッピングモールがあり、パニオロアイテムの品揃えが豊富です。
また、ショッピングセンター裏には博物館があり、パーカー家や牧場、パニオロに関する展示や映像などが見られます。

そして「パーカー・ランチ・ヒストリカル・ホームズ」では、2邸のパーカー家の大邸宅と庭園が見学でき、日本の天皇が贈った花瓶も展示されています。
実際に足を運んでみると、新しい発見があるかもしれません。

ロデオ大会(パーカー牧場) アクセス+店舗情報

ロデオ大会(パーカー牧場)

住所:
66-1304 Mamalahoa Hwy, Waimea,
電話番号:
+1 808-885-7311
営業時間:
09:00~12:00
開催日:
7月4日

mami(ふぉぎ☆)
著者:mami(ふぉぎ☆)
ホームページ「ハワイアンセラピーMakana aloha」
ブログ「mami(ふぉぎ☆)の小部屋」
ある時、導かれるようにハワイ島旅行へ。
帰国後すぐに出会ったマナ・カードに魅せられ、セラピストへの道を歩き始める。
現在は、愛知県を中心に、マナ・カード、ハワイアンカード、フラワーエッセンス、神話など、ハワイに関わることや 、植物の癒しに関わるセラピーや講座などを行っている。

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