もともとハワイに牛はいなかった?牛から紐解くハワイの農業ヒストリー
Aloha mai kākou!みなさまアロハ!
知人から「美味しいステーキが食べたいのでお店を教えて!」と言われたので、「LaniLaniでチェックしてね」とお伝えしました!
さて、ステーキといえば牛肉ですよね。
ハワイには面積の大きい牧場がいくつかあり、「パニオロ」と呼ばれるハワイアン・カウボーイも存在します。
しかし、もともとハワイに牛はいませんでした。
この記事では、ハワイの牛にまつわるお話をご紹介します!
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古代ハワイの家畜
古代の人々は星や風、波など、自然から方角を読み取り、広い南太平洋をエンジンや計器類のない船で自由に移動していました。
次の居住地に食料がないと困るので、植物や動物も船に乗せて移動しており、船で運んでいた植物はカヌープランツ、動物をカヌーアニマルと呼びます。
カヌーアニマルは、犬、ブタ、ニワトリ、ネズミなどが挙げられます。
しかしその中に牛はいませんでした!
そこで牛とハワイの歴史を見ていきましょう。
バンクーバー船長
1793年2月22日、ハワイに牛がやって来ました。
イギリス人のジョージ・バンクーバー船長が、カメハメハ大王への献上品の一つとして、2頭の子牛とともに5頭の雌牛をプレゼントしたのです。
バンクーバー船長はハワイ諸島の発見者であり、ハワイ島で最期を迎えたジェームス・クック船長の船団の一員でしたが、今度は自分が艦長になりハワイを訪問したのでした。
牛は「大きな豚」と呼ばれていた
牛を贈られたカメハメハ大王はとても喜んだそうですが、何しろ初めて見る大きな未知の生き物。
大王は牛を「大きな豚」と呼びました。
船から降りた牛がビーチでヒヅメを蹴ると集まっていた群衆は大慌て!
海に飛び込んだり、ヤシの木に逃げ登ったり、しばらくは牛を遠巻きに眺めていたそうです。
ハワイアンたちの目に牛はどう映ったのでしょうね。
「カプ」によって増えすぎた牛
古代ハワイには「カプ(kapu)」と呼ばれる厳しい決まりごとがたくさんあります。
バンクーバー船長はハワイ文化をよく知っていました。
ハワイ語でカプとは「タブー」のこと。
カプを破ると王でも命を捧げるほどに厳しいものでした。
船長はそのシステムをうまく使い、プレゼントした家畜を10年の間、殺すことは「カプ」にするようカメハメハ大王に伝えました。
それは牛をすぐ食べてしまっては、後世につながらないとの船長の優しさだったのではないでしょうか?
そしてハワイアンはそのカプをしっかり守りました。
その結果、野生の牛や家畜が増えすぎて街は荒らされ、怪我人が出るなど深刻な被害が出るようになっていきます。
馬などの他の動物もハワイへ
1803年5月、アメリカ人のリチャード・クリーブランド船長がハワイに馬をもたらしました。
しかし、頭のいい大王でも最初は馬の価値を理解できなかったようです。
なぜなら、食用以外の用途の、移動に使ったり農耕に使うという動物はハワイには存在しなかったからです。
「せっかく馬をプレゼントしたのにも関わらず、大王からの贈り物(食料)が思いのほか少なかった」とクリーブランドは書き残しています。
そんな大王ではありますが、すぐに乗馬をマスターしたという大王の器を感じさせる逸話があります。
他にも、ヤギ、シカ、羊、ウサギなどもハワイへ持ち込まれました。
ハワイ伝統文化
一説によるとバンクーバー船長ら西洋人は、ハワイを太平洋での食料補充地としたかったようです。
最終的に家畜のプレゼントは自分たちの胃袋を満たす目的だったということでしょうか。
やがてハワイアンは牛の肉を欧米の船に売るようになっていきます。
カメハメハ三世の治世にはカウボーイを召喚。
彼らの手にかかれば野生化した馬も凶暴化した牛もお手の物です。
そして捕まえた野牛を飼育する牧場が発展していきました。
その技術を身につけたハワイアン・カウボーイの「パニオロ」は、後に野生の馬や牛の被害対策とハワイの農場発展に貢献していきました。
実はパニオロの出現により牧畜の技術が発展しただけではなく、ハワイ文化に欠かせないハワイアンミュージックにも多大なる影響が…。
そして今ではパニオロ自体、ハワイ伝統文化のひとつとなっています。
その話はまた別の機会に。今回はこの辺で!A hui hou!