大いなる謎が解明?!ハワイアンのルーツといわれるポリネシア人の新しい説が発表

大いなる謎が解明?!ハワイアンのルーツといわれるポリネシア人の新しい説が発表

南太平洋に浮かぶたくさんの島々。
ハワイ諸島、イースター島(ラパヌイ)、ニュージーランド(アオテアロア)を結ぶと三角形ができ、その三角形地帯をポリネシアと呼びます。

ハワイアンのルーツは島から島へと移動したポリネシア人であったと言われているのですが、ポリネシアには書き言葉がなく、口頭伝承で伝わってきたものもほぼ途絶えてしまったため、はっきりした事はわかっていません。

未だに多くのナゾが残っているのですが、今回新しい説が発表されたことがニュースになりました。

ハワイアンの祖先はどこから来た?

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参照:コンティキ号博物館HP

ノルウェー人の人類学者トール・ヘイエルダール(1914〜2002)は、ポリネシアの島へ渡り、ポリネシアの島々の文化や植物などが南米のものに似ていることに着目。

1947年、自説を証明するために5名の仲間と「コンティキ号」と名付けられたバルサ材のいかだで、ペルーからツアモツ諸島までの漂流実験をしました。

その距離6,300キロ、102日間の旅。

その漂流の様子は翌年「コンティキ号漂流記」として出版され、62か国で発売、大ベストセラーとなりました。
映画にもなったので、ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。

そうして、風上の南米から漂流の末にポリネシアの島々へ行き着いたのが、ハワイアンの祖先であるポリネシアンだということが証明された形になりました。

これが「へイエルダール説」です。

勇敢な海洋民族説

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その後、ハワイのビショップ博物館の民族学者でもあるケネス・エモリー博士(1897〜1992)や、同じくビショップ博物館の篠遠喜彦博士(1924〜2017)らがポリネシア各地の調査を行い、南米文化起源ではなく西側からの文化色が濃い事がわかってきました。

ポリネシア人は風に吹かれて漂流した民族ではなく、風下から自分たちの意思で風上へと海を渡った勇敢な民族ではないか、という説が出現したのです。

1990年代中頃には、DNAから、イースター島の原住民はポリネシア人であったという発表もされたそうです。

ホクレア号プロジェクト

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1975年、アメリカ合衆国建国200周年記念のイベントの一つとして、古代ハワイの復元カヌー、ホクレア号が造られました。

近代の計器などは一切使用せず、星や波や自然から方向を見出し進む古代式の走法を使って、ハワイアンのルーツの一つであるタヒチへの航海を成功させたのでした。

この成功により、ホクレア号はハワイアンの伝統文化復興運動のシンボルとなり、ポリネシア民族には広い太平洋を自由に行き来する知識と勇気があった、ということの証明にもなりました。

そして、ポリネシア人の起源はアジアにまで遡る説が主流になっていきました。

新説発表

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参照:ポリネシア文化センターHP

しかし、ハワイにもポリネシアにも、南米起源の植物が存在するのです。

これは、南米の人とポリネシア人は交流があったという事なのか?
それならば、一番近い(といっても4,000キロも離れている)イースター島が交流の最初なのでは?
長年の謎は残ったままでした。

そして今回の7月8日付のネイチャー誌に、スタンフォード大学の遺伝子研究から新説が発表されました。

南米大陸に一番近いイースター島よりもっと遠い、マルケサス諸島で1200年頃には南米人とポリネシア人の接触があった、というものです。

【Native American gene flow into Polynesia predating Easter Island settlement】について詳しく読む

西洋船がポリネシアへやってきたのが17世紀なので、それより遥か昔にポリネシア人も南米人も海を自由に行き来していた、ということになるのでしょうか。

ポリネシアの文化の多くは未だ謎が多く、これからの新説も楽しみです。
もしかしたら、古代ハワイの歴史が大きく変わることもあるかもしれません。
 

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