【祝・男女2選手がメダル獲得!】2020五輪新競技のサーフィンはハワイ発祥だった!?
2020年東京オリンピック種目になったサーフィンは、実はハワイを含むポリネシア発祥のスポーツだということをご存じでしょうか。
18世紀末にハワイを発見したキャプテン・クックの記録に波乗りの様子が記されています。
サーフィンはそれほど古くから楽しまれていたハワイの伝統的なスポーツなのです。
タコもイカもサーフィンもヘエ
ハワイ語の「ヘエ (Heʻe)」は「滑る(ように進む)」というイメージの単語。
水中を滑るように進む(泳ぐ)生き物である、タコやイカをハワイ語でヘエといいます。
ハワイ語でサーフィンは「ヘエ・ナル (Heʻe nalu)」。
「ナル (nalu)」は波なので、「波(ナル)を 滑るように進む(ヘエ)」、それがサーフィンというわけです。
ちなみに、サーフボードはハワイ語で「パパ・ヘエ・ナル (papa heʻe nalu)」と言います。
この場合「パパ」は「ボード」。
「パパ・ヘエ・ナル」はハワイアンソングの「カイマナヒラ(Kaimana Hila)」の歌詞にも出てくる単語です。
サーフィンは誰のスポーツ?
サーフィンは王族だけでなく、庶民も楽しめるスポーツでした。
ただ、サーフポイントは、王族と庶民では厳密に分けられていました。
サーフボードも庶民は短いもので、5メートルを超える長いボードは王族専用でした。
材質も貴重なコアなどの丈夫な堅い木が使われました。
サーフィンの歴史
19世紀に入り宣教師がハワイ入りすると、原住民のくだらない遊びとしてサーフィンは禁止されてしまいます。
その後20世紀に入って、ヘエナルはサーフィンと呼ばれ、「ビーチボーイ」と呼ばれるハワイアンたちが観光客にサーフィンを教えるようになります。
そのビーチボーイの中にいたのが、ワイキキのクヒオビーチ前の銅像でも知られる、デューク・カハナモク(Duke Kahanamoku)。
ハワイのアクティビティの一つだったサーフィンが世界的なスポーツにまでなったのは、彼の功績によるものです。
近代サーフィンの父
デューク・パオア・カハナモクは1890年8月24日オアフ島生まれのハワイアン。
幼少期よりアウトリガーカヌーやサーフィンなど海に親しんで育ちます。
ハワイアンの地位が低い時代でした。
1911年にホノルル港で行われた初の水泳大会で彼が3つの世界記録を樹立したとき、その超人的なタイムをアメリカ本土の大会関係者は信じなかったそうです。
でも、その後のオリンピックでは大活躍。
1912年のストックホルムオリンピックをはじめ、1920年アントワープでも金メダル、1924年のパリでは銀メダルを獲得して有名になると、サーフィンを海外で披露して普及させていきました。
そんなわけで彼は「近代サーフィンの父」と呼ばれることもあります。
また、同時に水泳の人気を上げることにも貢献していきました。
デューク・カハナモクについてはこちらの記事もどうぞ!
サメとサーファーの関係
サーファーがサメに傷つけられるのは、サメの好物のウミガメと間違えられるから、という話を聞きました。
海が身近なハワイアンは昔からサメの被害に悩まされてきました。
恐ろしいサメの神話もありますが、サメがご先祖さまであったり、海の守り神だったりする神話もたくさん残されています。
デューク・カハナモクが世界記録を出したホノルル港はそのむかし「マーマラ(māmala)」と呼ばれていました。
それは、マーマラというサメの化身の美しい女性のチーフが住んでいたから。
彼女が人間の姿でサーフィンをしていると、岸で人びとが拍手喝采をした、という言い伝えが残っています。
ホノルル港のサメは人に害を与えなかったばかりでなく、ホノルルの人々を守ってくれている存在だったようですね。
さて、東京オリンピックまであと一年。
サーフィンがオリンピック競技にまでなるとは。
デューク氏も喜んでいるに違いないと思います。
今回はこの辺で!
A hui hou!
【7月28日更新】サーフィン男子 銀メダル獲得!
東京オリンピックの新競技サーフィンは、日本代表「波乗りジャパン」のうち男子の五十嵐カノア選手(23)が銀メダル、女子の都筑有夢路(つづき・あむろ)選手(20)が銅メダルを獲得しました!
五十嵐選手、都筑選手、おめでとうございます!