サーフィンだけではなかった!たくさんの顔を持つ英雄デューク・カハナモク

サーフィンだけではなかった!たくさんの顔を持つ英雄デューク・カハナモク

ワイキキビーチに行かれた方は、大きなサーフボードを背にして立っている男性の銅像を見かけたことがあるのではないでしょうか。
ハワイの英雄で、「近代サーフィンの父」とも言われている伝説のウォーターマン、デューク・カハナモク。
今回は、彼をご紹介しましょう。

ハワイでは、昔から男性も女性もサーフィンを楽しんでいました。
1778年にキャプテン・クックがハワイを発見した時には、国民的な楽しみとして行われていたそうです。
カメハメハ大王も優れたサーファーだったそうですよ。

そんなハワイのワイキキで育ったデューク・カハナモク(1890年~1968年)は、幼少のころからアウトリガー・カヌーや水泳に親しんでいました。
水泳では驚異的な力を発揮し、ホノルル港で行われたハワイ初の水泳大会で、3つの世界記録を樹立します。
そして、翌1912年のストックホルム五輪、100M自由形で金メダルを獲得、リレーでも銀メダルを獲得し、以後3大会に出場しメダルを獲得しています。

その間にも、カリフォルニアやオーストラリアなどでサーフィンを披露し、ハワイアン以外の人にもサーフィンを伝えていきます。

水泳競技生活を引退した後は、水泳とサーフィンを広める活動に力を注ぎ、特にサーファーとしての功績を残していきます。
サーフィンをスポーツとして世界中に紹介し、アメリカに流行させ、さらにサーフィンがプロ・スポーツになるきっかけにもなりました。
これらの功績がのちに「近代サーフィンの父」と呼ばれる所以にもなっています。

また、イケメンだった彼は、ハリウッド俳優としての側面も持っています。
30本ほどの無声映画に出演されていたそうです。
そして、その時に着ていたデュークブランドのアロハシャツも注目を集め、自らが広告塔となってハワイの文化を広めました。

さらに、彼の活躍はこれだけには留まりません。
1934年には、ホノルル市やその周辺の地域を管轄する保安官となり、12期連続で務めました。
また、ハワイがアメリカ50番目の州となった1960年には、アロハ大使に任命され、ハワイを訪れる人々を温かく迎える役目を果たしました。

1968年に77歳で生涯を閉じたあとも、ハワイの人々にレジェンドとして語り継がれ、1990年、生誕100周年を記念して建てられたのが、ワイキキ・ビーチにある銅像です。
今度はぜひ、彼のいろんな顔を思い浮かべながら、銅像を見てみてくださいね。

彼の誕生日8月24日頃には、彼を讃えて、毎年「デュークス オーシャン フェスティバル」が開催されていますよ。

mami(ふぉぎ☆)
著者:mami(ふぉぎ☆)
ホームページ「ハワイアンセラピーMakana aloha」
ブログ「mami(ふぉぎ☆)の小部屋」
ある時、導かれるようにハワイ島旅行へ。
帰国後すぐに出会ったマナ・カードに魅せられ、セラピストへの道を歩き始める。
現在は、愛知県を中心に、マナ・カード、ハワイアンカード、フラワーエッセンス、神話など、ハワイに関わることや 、植物の癒しに関わるセラピーや講座などを行っている。

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