ホノルルでよく見かける銅像達が語る~ハワイアンヒストリー~

ホノルルでよく見かける銅像達が語る~ハワイアンヒストリー~

Honoluluを訪れてビーチなどを歩いていると、いくつか銅像を見かけることがあるだろう。その銅像一つ一つはそれぞれが興味ある歴史を持っている。そこで今回はそんな銅像達が語りかけてくるハワイアン・ヒストリーを紹介していこう。

カメハメハ4世&エマ王妃/KamehamehaⅣ & Queen Emma Statue

カメハメハ4世&エマ王妃/KamehamehaⅣ & Queen Emma Statue

インターナショナル・マーケット・プレイス1階の中央にあるクイーンズ・コート。そのメインステージの左側にカメハメハ4世(アレクサンダー・リホリホ)とアルバート王子の銅像がたっている。ホノルルで生まれた彼は1854年に王位を継承すると、アメリカの力が強くなり始めたハワイにおいて、ハワイアンの文化を守るために新英国を貫き、ハワイ王国に英国教会を設立、セント・アンドリュー大聖堂を建てた。また、ハワイ人の病気に対する抵抗力の無さや人口減少を心配し、妻のエマと共に個人的に資金を集め、現在のクイーンズ・メディカル・センターの基となるクイーンズ・ホスピタルを設立した。

彼の像の近くには4歳でこの世を去ったアルバート王子の像もたてられている。一方、メインステージの右側にたつのが妻のエマ・ナエア・カレレオナラニ・ルークの銅像だ。彼女は1856年にカメハメハ4世と結婚して王妃となり、イギリス国教会の支援を受けてミッション・スクールのイオラニ・スクールも設立した。カメハメハ4世が無くなり選挙でハワイ国王が選ばれることになりカラカウアの対立候補となったが、国民投票ではなくアメリカ寄りの白人が力を持つ議会選挙となったため敗北。夫カメハメハ4世の意志を継ぎ1885年に亡くなるまでアメリカによるハワイの支配に最後まで抵抗した王妃として知られている。

カメハメハ4世&エマ王妃/KamehamehaⅣ & Queen Emma Statue

カメハメハ4世&エマ王妃/KamehamehaⅣ & Queen Emma Statue アクセス+店舗情報

カメハメハ4世&エマ王妃/KamehamehaⅣ & Queen Emma Statue

住所:
2330 Kalakaua Ave, Honolulu インターナショナル・マーケットプレイス、クイーンズ・コート内
電話番号:
808—931-6105
営業時間:
10:00~22:00
定休日:
無休
URL:
http://ja.shopinternationalmarketplace.com/

カラカウア王/King Kalakaua Statue

カラカウア王/King Kalakaua Statue

カラカウア・アベニューがクヒオ・アベニューと2つに分岐する三角地にあるワイキキ・ゲートウェイ・パーク。1991年、その公園に「オアフ島日本人官約移民100年祭委員会」によってたてられた銅像が、ハワイ王国の第7代デイビッド・カラカウア王だ。1836年にホノルルで生まれた彼は、第6代国王のルナリロが跡継ぎを指名しないまま亡くなったため、議会選挙によって1874年に第7代ハワイ王国の王に選出された。

ハワイ王国の発展を目指していたが、結果的にハワイはアメリカから不利益を被っていくことになる。なかでもアメリカに真珠湾の軍事利用を押し切られたことはハワイ住民の反発をかった。しかし一方では廃れていくハワイアン文化の保護に尽力した功績も大きなものだ。

最も有名なものは、自らの戴冠式でそれまで禁止されていたフラを公に踊ることが出来るようにした事で、今も彼のニックネームである「メリー・モナーク」はハワイ最大のフラ・コンペティションの名前だ。しかし「陽気な王様」というニックネームは裏腹に、当時のハワイ王国は多くの困難を抱えていた。カラカウアは小国のハワイ王国が列強アメリカに対抗するため、太平洋アジア連合などあらゆる手段を尽くすが、ことごとく失敗してしまう。そして1887年に新憲法の発布を白人から強要され、国王としての権力を失うと失意のうちに体調を崩し、1891年に療養中のサンフランシスコで帰らぬ人となったのだ。

カラカウア王/King Kalakaua Statue アクセス+店舗情報

カラカウア王/King Kalakaua Statue

住所:
2050 Kalakaua Ave, Honolulu
営業時間:
24時間
定休日:
無休

 

プリンセス・カイウラニ/Princess Kaiulani Statue

プリンセス・カイウラニ/Princess Kaiulani Statue

カイウラニ通りを挟んでオハナ・イーストホテルの反対側にある三角地のアイナハウ・パーク。この公園の一角にヴィクトリア・カイウラニ・クレッグホーンの銅像がたてられている。カイウラニは1875年10月にオアフ島の知事をつとめた父アーチボルド・クレッグホーンと、母ミリアム・リケリケの間に生まれた。彼女はリリウオカラニ女王の姪に当たるが、リリウオカラニ女王に子どもがいなかったため王位継承者となった。

イギリスへ留学中にハワイでハワイアンと白人の争いが激しくなると、彼女は18歳の若さでハワイ王国存続を託されアメリカ大統領のもとに派遣されるが、イギリス留学から戻った時にはハワイ王国は崩壊していた。ハワイがアメリカに合併された年、彼女は失意のうちに祖国を奪った白人達のいるオアフ島を離れてハワイ島に渡る。しかし乗馬を楽しんでいるときに嵐にあい、風邪をこじらせて23歳の若さでこの世を去ったのだった。

ハワイ語でピカケ(ジャスミン)の語源はピーコック(孔雀)であるが、これは彼女がピカケの花と共に孔雀をこよなく愛したからだと言われ、銅像の足下にも孔雀が寄り添っている。50羽以上の孔雀を飼っていたと伝えられているが、彼女が亡くなった日、その孔雀達が一斉に鳴いたという話が今も語り継がれている。ちなみに、彼女の名を冠したプリンセス・カイウラニ・ホテルの正面玄関左側の小道の木にも孔雀の彫り物が施されている、機会があればぜひ見てほしい。

プリンセス・カイウラニ/Princess Kaiulani Statue

プリンセス・カイウラニ/Princess Kaiulani Statue アクセス+店舗情報

プリンセス・カイウラニ/Princess Kaiulani Statue

住所:
150 Kaiulani Ave, Honolulu
営業時間:
24時間
定休日:
無休

プリンス・クヒオ/Statue “Prince Jonah Kuhio Kalaniana ‘ole” 

プリンス・クヒオ/Statue "Prince Jonah Kuhio Kalaniana 'ole"

カラカウア・アベニューとオフア・アベニューの交差点ななめ向かいのクヒオ・ビーチに立っている銅像がプリンス・クヒオ、本名ジョン・クヒオ・カラニアナ・オレ・ピイコイだ。彼はカラカウア大王が唯一倒せなかったカウアイ島最後の王「カウム・アリイ」のひ孫で、カラカウアの養子としてホノルルで育った。

ハワイ国王となるために英才教育を受けていたが、ハワイ王国は滅亡する。1895年にはリリウオカラニ女王を支持し王権回復(クーデター)を企て国家反逆罪として逮捕され、一年の禁固刑を終えるとエリザベス・カハヌ・カアウヴァイと結婚し、共和国となったハワイを離れ、ヨーロッパやアフリカを歴訪する。1900年にハワイがアメリカの領土になるとハワイに戻り、アメリカ領となったハワイの代表として選出された。その後、ハワイ州法案の提出や、「ハワイアンの血が50%以上入ったハワイ州民には規定の広さの公有地を無料分譲する」というハワイアン擁護の法令制定、さらにハワイ島キラウェア火山を国立公園にするなど、1902年から1922年に亡くなるまでハワイ代表、さらにアメリカ下院議員としてハワイアンのために働いた。

その功績をたたえて、クヒオ・アベニューをはじめ、カラニアナ・オレ・ハイウェイなど、彼の名前がついた道路がホノルル近辺には多く見られ、彼の誕生日3月26日は「プリンス・クヒオ・デー」としてハワイ州の祝日になっている。

プリンス・クヒオ/Statue

プリンス・クヒオ/Statue “Prince Jonah Kuhio Kalaniana ‘ole”

住所:
Kalakaua Ave, Honolulu
営業時間:
24時間
定休日:
無休

デューク・カハナモク/Duke Kahanamoku Statue

デューク・カハナモク/Duke Kahanamoku Statue

クヒオ・ビーチのハイアット・リージェンシーの向かいあたりにあり、サーフボードの前にたつ銅像が、サーフィンの神様といわれたデューク・カハナモク。1890年にオアフ島で誕生した彼はワイキキで育ち、水泳やアウトリガーなどに親しんでいた。青年になると観光客にサーフィンやカヌーを教えるビーチボーイとなり、1912年のストックホルム・オリンピックなど、オリンピック3大会に出場し、3個の金メダルと2個の銀メダルを獲得した。さらにメダリストとして世界中を訪れて水泳のエキシビションを行ったが、このとき一緒にサーフィンを披露し、19世紀からフラと共に抑圧されていたサーフィンを世に広く知らしめたことから、モダン・サーフィンの父と呼ばれるようになった。

さらにサーフィンがプロ・スポーツになるきっかけを作った人物としても知られている。ワイキキにたつ銅像は、彼の功績をたたえ生誕100年を記念して建てられたものだが、カルフォルニア州のオレンジ・カウンティにも彼の銅像がたてられている。彼の愛用するサーフボードは16フィート(約5m弱)あり、通常9フィート(約270㎝)以上とされるロング・サーフボードと比べると巨大なもので、ハワイ語で「大きな板」という意味のパパヌイと呼ばれていた。銅像では少し小さくなった「パパヌイ」だが、彼の大きな功績をたたえるレイが銅像の手から絶えることがない。

デューク・カハナモク/Duke Kahanamoku Statue アクセス+店舗情報

デューク・カハナモク/Duke Kahanamoku Statue

住所:
Kalakaua Ave, Honolulu
電話番号:
808—545-4880 (アウトリガー・デューク・カハナモク財団) 
営業時間:
24時間
定休日:
無休
URL:
https://dukefoundation.org/

 

今回はホノルル・ワイキキを中心に、銅像が語りかけるハワイアン・ヒストリーを紹介した。ストリートや公園に何気なく建っている銅像の数だけハワイでは歴史が刻まれてきたのだ。次にハワイを訪れた際には、街にたつ銅像と共にハワイ履歴氏にも興味を持っていただきたい。

関連する記事