アポロ11号の活躍、地上で支えていたのはハワイだった!?アポロ計画とハワイの関係
アロハ!
2019年は、アポロ11号の月面着陸50周年記念の年です。
アメリカでは、各種記念限定品発売や雑誌の特別号、邦題「アポロ11完全版」としてドキュメンタリー映画の公開や50周年当日の特別番組の放送などで盛り上がりました。
NASAは、ヒューストンのアポロ・ミッション・コントロール・センター内(タバコやコーヒーなども含めて)、を当時のまま復元するという面白い試みをしていました。
アポロ計画とは
アポロ計画とは、人間を月に着陸させるためのプロジェクトです。
1961年5月に当時のケネディ大統領が掲げた、「この60年代が終わるまでに人類を月へ送り安全に帰還させる」という目標は、60年代最後の年1969年にアポロ11号によって成し遂げられました。
この演説の直前に、旧ソ連のガガーリンが世界初の有人宇宙飛行に成功しているなど、背景には冷戦時代の宇宙開発競争があったようです。
アポロ11号
1969年7月16日、ニール・アームストロング・マイケル・コリンズ・バズ・オルドリン(トイ・ストーリーのバズ・ライトイヤーの名は彼に由来)の3名の宇宙飛行士が乗ったアポロ11号は、ケネディ宇宙センターから月へと打ち上げられました。
そして、7月20日に人類初の有人月面着陸に成功。
その後、アームストロングとオルドリンは任務のため月に降り立ちます。
その時のアームストロングの「これは人間にとっては小さな一歩だか人類にとっては偉大な飛躍だ。That’s one small step for man,one giant leap for mankind.」
という言葉は非常に有名ですよね。
彼らの任務の1つであった、月に星条旗を立てる映像は誰もが見たことありますよね。
近年になってその映像がねつ造だという説や陰謀論などが上がっており、科学者によって何度も反証されていますが、この「人類初の偉業」への興味や宇宙へのロマンが尽きないということでしょう。
アポロ11号とハワイ
月での動きについて、アームストロング氏はリアルタイムのやりとりで、「(歩行は)模擬訓練より楽かもしれない」と発言しています。
その模擬訓練とは、宇宙服でハワイ島を歩き、月の石を採取するシミュレーションのことです。
ハワイの溶岩台地の方が月面より重力もあるし、ゴツゴツして足場が悪かったのでしょうか。
また、宇宙へ出たアポロの追跡にもハワイが一役かっています。
その時のアンテナは、現在も探査機の追跡をしているそうです。
ハワイ島の天文台・展望鏡群は、世界に誇る技術が詰まっているのです。
1969年7月24日に、アポロ号11号は地球へ帰還し、三人を乗せた司令船は太平洋ハワイ沖へ着水しました。
そして、オアフ島パールハーバーにあるヒッカム空軍基地へ運ばれました。
検疫のため三人は隔離され、ハワイで数日過ごすことになります。
当時は、月に微生物や細菌の存在が疑われていたのです。
その際、3人はハワイ入国の税関申告書を記入。
出国地の欄には「月」、持ち込み物の欄には「月の石、ほこり」と記入した物が残っています。
ハワイが誇る宇宙飛行士
参照:Japanese Cultural Center of Hawai‘i
ガガーリンの宇宙飛行と、アポロ11号の月面着陸に憧れて、宇宙飛行士を目指した人物がいます。
アメリカ初のアジア系宇宙飛行士、「エリソン・ショージ・オニヅカ」は苦学して宇宙飛行士になりました。
しかし1986年1月、彼はスペースシャトル・チャレンジャー号に搭乗し事故に遭い命を落とします。
ハワイでは、彼を称えてマウナケア山のビジターセンターは「オニヅカ・センター」と名付けられ、2017年には、ハワイ島コナ国際空港を「エリソン・オニヅカ・コナ国際空港」と改称しました。
小惑星オニヅカや、月のクレーター名オニヅカなども彼の名前が由来です。
そしてなんと、2017年2月にはチャレンジャー号の残骸から、奇跡的にオニヅカ氏のサッカーボールが回収されたという話題もありました。
こちらの写真がそのボールです。
参照:NASA
オアフ島ホノルルのハワイ日本文化センターで、彼の宇宙服の展示を見られます。
オアフ島へ行った際にはぜひお立ち寄りください!