探検家が架け橋となった、ハワイとイギリスの意外な関係
皆さん、アメリカ合衆国50番目の州であるハワイが、もともと王国だったのはご存知ですか?
それまで、どこの国の支配下にも置かれた事はありませんでしだが、ハワイ王国旗、現ハワイ州旗(Ka hae Hawaiʻi)にはユニオンジャックが描かれています。
今回は、ハワイとイギリスの歴史についてご紹介します。
ハワイとイギリス
1778年、まだハワイ諸島のそれぞれの島に王が君臨していた頃、あるイギリス船にハワイ諸島は発見されます。
船の名はレゾリューション号、船長はジェームス・クックでした。
クック船長は翌年の1779年にハワイ島で命を落とし、その時レゾリューション号の士官候補生だったジョージ・バンクーバーが新船長になりました。
彼はハワイとイギリスの懸け橋としてハワイを何度も訪れ、後にハワイ王となる若いカメハメハと信頼関係を築き上げました。
ハワイが国になる以前からイギリスとハワイの歴史は始まっていたのです。
ハワイの旗 カ・ハエ・ハヴァイイ
1945年、カメハメハ3世によって現在のハワイの旗(州旗)は決められました。
一説によると、ハワイ王国はバンクーバーから貰い受けたユニオンジャックをハワイの国旗として挙げていましたが、1816年にイギリス人がユニオンジャック入りのもの作った、という事のようです。
当時、当時イギリスは力を持っていたため、ヨーロッパ列強の船が出入りするようになっていた小さなハワイにとっては、とても心強い後ろ盾だったのかもしれません。
イギリス王室との繋がり
ハワイの王族はヨーロッパ社交界にも繋がりを持ち、とりわけ同じ「王国」としてイギリスとの縁を大切にしてきました。
1887年、当時のハワイ王第7代カラーカウア王妃であるカピオラニ妃と、カラーカウア王の妹で後に8代王になるリリウオカラニ王女は、イギリスのヴィクトリア女王即位50周年記念「クイーンズ・ジュビリー(ゴールデン・ジュビリー)」に出席しています。
ちなみに、この時にヴィクトリア女王が身につけていた「ヴィクトリアン・ジュエリー」は、ハワイアン・ジュエリーのルーツと言われています。
クイーンズ・ジュビリー
ハワイ王国一行はクィーンズ・ジュビリーに出席するため、船でイギリスに向かいました。
王妃たちは特別待遇で迎えら、その時の様子は上記の絵画にも表されており、左の方の前例にカピオラニ王妃やリリウオカラニ王女が描かれています。
この絵の複製はオアフ島ホノルルのイオラニ宮殿内青の間で鑑賞できます。
また、リリウオカラニ王女をはじめカラーカウア王兄弟姉妹は音楽の才能に恵まれており、この時もリリウオカラニ王女はいくつか曲を作ったそうです。
フラでも踊られる「クイーンズ・ジュビリー」という題名のハワイアン音楽はそのうちの一つ。
リリウオカラニ女王のハワイアンジュエリーのブレスレットはビショップ博物館で見られます。
ハワイとイギリスの歴史的産物、ロマンがありますよね。
ハワイ旅行の際に、足を運んでみてはいかがでしょう?
A hui hou!