3月26日はプリンス・クヒオ・デー!ハワイ州の祝日に隠された熱いヒストリーをご紹介

3月26日はプリンス・クヒオ・デー!ハワイ州の祝日に隠された熱いヒストリーをご紹介

Aloha mai kākou!
皆さま、アロハ!

ハワイにはアメリカの祝日以外に、ハワイ州の祝日という日が年3回あります。

  • 3月26日プリンス・クヒオ・デー(Prince Jonah Kūhiō Kalanianaʻole Day)
  • 6月11日カメハメハ・デー(King Kamehameha Ⅰ Day)
  • 8月第3金曜日ステイトフッド・デー(Statehood DayまたはAdmission Day)

どの記念日にも様々な由来がありますが、春の季節が近づいてきた今回は、3月のプリンス・クヒオ・デーにちなんだ、クヒオ王子についてお話しします。

王子由来の地名

ワイキキビーチ
LaniLani

クヒオ王子の名前が由来となっている場所をご存じですか?
例えばワイキキのカラカウア通りにあるクヒオ王子像はもちろんのこと、ワイキキの地図で目にする「クヒオ通り」や「クヒオ・ビーチ」です。

さらに、オアフ島西のナナクリ・ビーチパークが2016年に改名された「カラニアナオレ・ビーチパーク」やホノルルマラソンのコースにもなっている「カラニアナオレ・ハイウェイ」も、すべてクヒオ王子の名前が由来です。

また、カウアイ島コロアには「プリンス・クヒオ・パーク 」という名の公園があります。
こちらの公園はクヒオ王子の生誕地として観光スポットにもなっています。

クヒオ王子の家系

ファミリーツリー
LaniLani

クヒオ王子は1871年3月26日カウアイ島コロア生まれ、ジョナ・クヒオ・カラニアナオレ・ピイコイ(Jonah Kūhiō Kalanianaʻole piʻikoi)が正式名称です。
カウアイ島の賢王カウムアリイ王の曾孫で、ハワイ王国7代カラーカウア王のお妃であるカピオラニ王妃の甥にあたる血筋です。
のちにカピオラニ王妃の養子になります。

もともとハワイは各島に王がいて、そこで勝利し統一したのがカメハメハ大王です。
神がついていると言われたカメハメハ大王でしたが、カウアイ島にだけは一度もたどり着けませんでした。
結局戦争で血を流すこともなく、話し合いによってハワイ王国入りとなった唯一の島がカウアイ島。
その時のカウアイ王がクヒオ王子の曽祖父カウムアリイで、彼もまた「神が味方している」とウワサされた若き賢王でした。
曽祖父カウムアリイの一族は、カメハメハ一族がハワイへやって来る以前からハワイ諸島に定住していたナナウル王朝の末裔でした。
家系の歴史から見ても、クヒオ王子はハワイの正統派王子様なのです。

ハワイ激動の時代

イオラニ宮殿の門
LaniLani

幼いクヒオ王子はオアフ島のロイヤルスクールと現在のプナホウスクールとして知られるオアフカレッジで教育を受けます。(プナホウスクールは前大統領バラク・オバマ氏の出身校としても有名な名門校です。)
その後、クヒオ王子はハワイを出てアメリカやイギリスでも学んでいます。
将来のハワイ王国の王として期待されていたことでしょう。

ところが1891年カラーカウア王がアメリカで客死、リリウオカラニ王女が王権を引き継ぎましたが、1893年彼が22歳になる誕生日の2カ月前にハワイ王国が終焉を迎えてしまいます。
王国から共和国となったハワイでしたが、1895年一部の人々によるハワイ王国復興の動きがあり、王子も参加しました。
しかし結果として、王子は1年近く反逆罪で収監され、無関係とされたリリウオカラニ女王も反逆行為隠匿の罪でイオラニ宮殿に8カ月幽閉されてしまいました。
その後、王子は妻とともにヨーロッパなどへ亡命の旅に出ます。

クヒオ王子の功績

クヒオ王子
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1902年アメリカ準州になったハワイへ戻ったクヒオ王子は王家初、ハワイアン初、アメリカ下院議員に選出され1922年に50歳で亡くなるまでワシントンD.C.でハワイアンのために尽力しました。
クヒオ王子の功績は多く、準州だったハワイを州に昇格させるためアメリカ議会にハワイ立州法案を提出したり(彼は州になるのを見届けられませんでした)、ハワイ諸島の群制度の導入やハワイアン擁護の法「ハワイアン・ホームステッド法」の制定をしたり(50%以上のハワイアンの血が入っている州民に20万エーカーの公有地を無料分譲する)と活躍しました。

さらに、カメハメハデイをハワイ州祝日に制定したり、ハワイの伝統・習慣を守る目的とした「ハワイアン・シビック・クラブ」を1918年に設立するなど、ハワイのために尽くしました。
そしてワイキキにあるプア・レイ・ラニ(Pua Lei Lani)と呼ばれた大邸宅を生前から解放。
1922年に亡くなるとワイキキにあった全ての土地を市に寄贈され、邸宅のあったあたりは1940年にクヒオ・ビーチ・パークとなりました。
ハワイアンの権利のために一生を尽くしたため、ハワイアンからも「庶民の王子」と呼ばれ敬愛されてきた王子なのです。

プリンス・クヒオ・デー

Hawaiian Civil Club HP
LaniLani

参照:Hawaiian Civil Club

そういった謂れで王子のお誕生日の3月26日はハワイでは祝日となりました。
ハワイ・オアフ島を走る公共路線バスであるザ・バスは祝日ダイヤなのでご注意ください。
またプリンス・クヒオ・デイの週末3月30日にはプリンス・クヒオ像のあるワイキキのカラーカウア通りはパレードが催されます。(新型コロナウイルスの影響により変更する場合がございます)

イベント詳細は、下記Hawaiian Civic Club HPをご覧ください。

Centennial Events

当日ハワイにいらっしゃる方々はお楽しみください!

ではまた!
A hui hou!

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マルヒア・コジマ
著者:マルヒア・コジマ
ロケラニ・ハワイアン・カルチャー・ラボ主宰 ふと手にした"マナ・カード ハワイの英知の力"をきっかけに古代ハワイへの探求がはじまり、今や古代だけでなく、ハワイの文化・歴史・神話・雑学を、大学の特別講義や各地のカルチャースクールなど、飛び回り語っています。ありがたいことに、はや14年。 約5,000件のサンプルから統計を取った、独自のマナ・カードの解釈を理論的に教えており、日本だけでなく現地ハワイにも生徒を持つマナ・カード講師の顔と、 そのマナ・カードを使ったセラピーでは、世界各地にクライアントが存在する、行列の出来る熱血マナ・カードセラピストでもあります。 古代ハワイの叡智(フナ)を残していく事に情熱を傾けています。 ブログ  マナ・カードとハワイアンカルチャー インスタグラム

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