【徹底解説】ハワイ移民や日系人の苦労を振り返ってみよう

【徹底解説】ハワイ移民や日系人の苦労を振り返ってみよう

いま米国で問題になっているアジア系人種へのヘイトクライム。
かつて日本からの移民も米国本土で排斥運動を受けるなど苦労を重ねてきました。

今回はそんなハワイ移民や日系人の苦労を振り返ってみました。

日本からハワイへの移民の歴史

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ハワイで盛んに行われていた砂糖産業はたくさんの労働者を必要とするため、ハワイ王国は1852年に外国からの移民の受入れを決定します。

当時の主な移民を年代順にあげると、中国、日本、南洋諸島、ポルトガル、ドイツ、ノルウェー、スペイン、プエルトリコ、朝鮮半島からという順番でした。

日本から自分の意思でイギリス船サイオト号によりハワイに渡った最初の移民はおおよそ150人。

これが明治元年(1868年)だったため、日本からハワイへはじめて渡った移民を元年者といいます。
この元年者は徳川幕府に許可された移民であり、新しい明治政府から認められた移民ではありませんでした。

ハワイで伝染病が蔓延し労働者が足りなくなったため、カメハメハ4世が明治政府に日本人のハワイへの移民を要請しますが、明治政府はこれに消極的でした。

ハワイ王国第7代国王となったカラカウアが初の現職外国元首として1881年(明治14年)に来日。

明治天皇に謁見し、姪のカイウラ二王女と皇族の山階宮との結婚の申し出などとともに、日本からの移民も要請します。

その申し出に答え1885年(明治18年)から 明治政府が初めて正式に認めた移民「官約移民」が始まり、ハワイ王国が消滅した翌年の1894年まで続きました。  

日本人排斥運動によって移民が終わる

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ハワイが米国の準州となり合衆国の法律が適用されるようになると、それまでの移民は奴隷と同じようにみなされたため、1900年から自由移民の時代になりました。

一方でハワイから本土やカナダへ移転の動きも出てきた結果、これらの地域で日系移民が増え続けるようになります。

やがて日系移民への風当たりが強くなり、すでにカルフォルニアで始まっていた日本人排斥が激しくなっていきました。

サンフランシスコで地震が起き、市が日本人生徒を公立学校から東洋人学校に隔離する決定を下したことをきっかけに、日本人排斥は日米間の国際問題に発展しました。

こうして労働目的での米国への渡航は禁止され、ハワイから米国への移転も禁止されました。

ところがカルフォルニアで日本人への排斥が収まらなかったため、アジア出身者の米国移民を全面的に禁止する条項が設けられた「1924年移民法」が成立。

こうして米国準州であるハワイへの移民や移住に終止符が打たれました。

これによりハワイ在住の日本人は永住か帰国かの判断を迫られ、日本でも国籍法が改正され、移民2世の日本国籍放棄と離脱が認められました。

ハワイプランテーションビレッジに再現されている日系人収容所

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日本帝国軍による真珠湾攻撃によって、ハワイに暮らす日系人達に苦難が訪れました。

ハワイのみならず米国に暮らす日系人達は敵国の人間として収容所に送られましたが、当時の収容所がハワイプランテーションビレッジに再現されています。

当時のハワイ州では日系人が州全人口の40%を占めていて、すべての日系人を収容所に送ると経済活動がストップしてしまうほどでした。

そこでハワイ出身のデロス・エモンズ将軍は米国政府を説得し、日系人の中から政府関係者や教育者など2,000人をオアフ島のサンドアイランドの収容所に送りました。

さらにその中から700人が米国本土の収容所へ移され、サンドアイランドに代わる収容所がホノウリウリに開設されました。

このホノウリウリは収容者から「地獄谷」と呼ばれた収容所で、日本人や米国国籍を持つ日系人の他、ハワイ在住のドイツ人やイタリア人など多いときには4,000人が収容されていました。

終戦から時が過ぎ、忘れ去られていたホノウリウリ。

米西海岸に住む日系人活動家が大戦中に収容されたことに対して賠償活動を始め、当時のレーガン元大統領が市民自由法へ署名するに至る流れの中でホノウリウリは再び注目されることに。

ハワイ日本文化センターの調査によってホノウリウリ収容所の存在が突き止められ、2015年2月24日オバマ元大統領によって跡地が国定史跡に指定されました。

ハワイの魅力はたくさんありますが、日系人が多く「Bento(弁当)」や「Shoyu(醤油)」、「Okazu(おかず)」など、日本語のままの言葉が使われ親しみがわくことも魅力の一つといえるでしょう。

これらはすべて日本からの移民や日系人が苦労を乗り越えてきたからこそ。
皆さんはどのように感じますか?

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K@z
著者:K@z
LaniLaniでまとめ記事の執筆を担当しているフリーランス・ライターです。
毎年ハワイに渡るようになって、もう少しで10年目。
これまでの旅の経験や、まとめ記事では書けなかったこと。
ワークショップやカルチャーセンターで習ったウクレレやラウハラ編み、
ハワイアンキルトなどに関することも発信出来ればと考えています。
ハワイの画像のみをアップしているInstagramも更新中。

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