ハワイ主権回復の日【ハワイアン・フラッグ・ディ】

ハワイ主権回復の日【ハワイアン・フラッグ・ディ】

ハワイの7月31日は「ハワイアン・フラッグ・ディ (Lā hae Hawaiʻi)」です。

単なるハワイの旗の日ではなく、この日はハワイの主権回復の日 Restration of Sovereignty Day (Lā Hoʻihoʻi Ea) とも呼ばれています。

1990年にジョン・ワイヘエ知事によって制定されてから今年は30周年目。

カイルアでは1,000旗、トーマス・スクエアには500旗ほどハワイ旗が揚げられたのをニュースで見かけました。

ハワイの旗については以前もご紹介しましたので、今回はこのハワイアン・フラッグ・ディ制定の歴史をご紹介します。

ハワイの旗

ハワイの旗

ハワイ州の旗(元ハワイ王国の旗)「カ・ハエ・ハワイイ(Ka hae Hawaiʻi)」にはユニオンジャックが描かれています。

ハワイに興味のない人は、ハワイの旗だと認識できないのではないでしょうか。

そして、ハワイの歴史を知らない人にとっては、アメリカなのにユニオンジャックがあることを不思議に思うようです。

ハワイ王国は古くからイギリスと交流があり、ハワイの旗をイギリスに作ってもらったため、ハワイがイギリスの統治下であった事はない、と通常は説明されます。

しかし、実のところそうとも言えない出来事があったそうです。

ハワイがイギリスに?

Lā Hoʻihoʻi Eaハワイ主権回復日HP
参照:La Hoihoi Ea

1843年2月10日、カメハメハ三世カウイケアオウリ王の治世のこと。

イギリスのフリゲート艦キャリーズフォート号でハワイへやってきたジョージ・ポーレット卿は、ホノルル港へ入港しハワイを占拠。
イギリスにハワイの領土を割譲するよう要求し、ハワイ旗を降してイギリス国旗を掲揚しました。

カメハメハ三世はマウイ島ラハイナに幽閉されてしまい、その占拠は6か月ほど続きました。

それを知ったイギリス王国のヴィクトリア女王は、ハワイを併合する意思のないことを宣言、ポーレット卿の単独の判断ということで、リチャード・ダートン・トーマス英海軍最高司令官をハワイへ送ります。

そして7月31日、トーマス司令官はこの事件を収めハワイ王国旗をカメハメハ三世に返還し、ハワイ王政復古の儀式が執り行われました。

その時のカメハメハ三世のスピーチの一節の「土地の命は正義の元に永続する/Ua mau ke ea o ka ʻāina i ka pono」は、今もハワイ州のモットーです。

ほんの一瞬、イギリス非公認ですが、ハワイがイギリスの統治下になったといえばそうかもしれない、実はそんな出来事があったのです。

トーマス・スクエア

ハワイ王国復興の儀式を行なった場所が現在のトーマス・スクエアです。

ハワイ最古と言われるこの公園は、トーマス司令官を称えて1850年にトーマス・スクエアと名付けられました。

この事件から175年目の2018年7月31日に向けて、トーマス・スクエアは2016年から大改修工事が行われていました。

その工事で新たにカメハメハ三世が建てられ、旗を揚げるフラッグ・ポールや噴水、トイレも設置されるなど約3億円ほどかけて整備され、今年はフラッグデイ30周年のイベントが行われていました。

ハワイへ行けた日には、ぜひカメハメハ三世像を見がてらトーマス・スクエアにも足をお運びください。

マルヒア・コジマ
著者:マルヒア・コジマ
ロケラニ・ハワイアン・カルチャー・ラボ主宰 ふと手にした"マナ・カード ハワイの英知の力"をきっかけに古代ハワイへの探求がはじまり、今や古代だけでなく、ハワイの文化・歴史・神話・雑学を、大学の特別講義や各地のカルチャースクールなど、飛び回り語っています。ありがたいことに、はや14年。 約5,000件のサンプルから統計を取った、独自のマナ・カードの解釈を理論的に教えており、日本だけでなく現地ハワイにも生徒を持つマナ・カード講師の顔と、 そのマナ・カードを使ったセラピーでは、世界各地にクライアントが存在する、行列の出来る熱血マナ・カードセラピストでもあります。 古代ハワイの叡智(フナ)を残していく事に情熱を傾けています。 ブログ  マナ・カードとハワイアンカルチャー インスタグラム

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