ハワイの歴史とハワイアンミュージックのレジェンド「イズ(IZ)」

ハワイの歴史とハワイアンミュージックのレジェンド「イズ(IZ)」

ワイキキに銅像のあるデューク・カハナモクや、
「エディならいくぜ Eddie would go」の言葉で有名な、エディ・アイカウなど、
ハワイ文化のカテゴリーによって、それぞれ「レジェンド」と呼ばれるハワイアン達がいます。

今回はハワイアンミュージックのレジェンドの一人、
イズラエル・カマカヴィヴォレ(Israel Kamakawiwoʻole)、通称「イズ(IZ)」をご紹介します。

ハワイの歴史おさらい


まずは、ハワイの歴史からおさらいしましょう。
「ハワイアン」と呼ばれる人達は昔々広い太平洋を渡って、
ポリネシアの島々からハワイ諸島へやってきた勇敢さと深い知識をもつ人々でした。

1778年にはイギリス船によって、ハワイが発見されたことにより、欧米で島の存在があきらかになりました。

1810年には、カメハメハ大王がハワイ諸島を統一しましたが、
カメハメハ大王が亡くなった1820年には、アメリカから宣教師がハワイに上陸しその影響で、ハワイの人々の価値観や文化が激変しました。
ハワイの古代宗教は邪教とされ、それに伴いフラも禁止、
やがてハワイ王国が転覆させられるとハワイ語を禁じられるなど、
少数になってしまったハワイアンには不遇の時代が近代までつづきます。

ハワイ文化を取り戻すため「ハワイアン・ルネッサンス」

1970年代、ハワイ文化を取り戻そうという運動が始まります。

古代の天文航法を再現してハワイタヒチ間の航海を成功させた「ホクレア号」をはじめ、
ハワイ語が公用語になったりとハワイ文化が盛り上がり始めたころ結成された、
「マカハサンズ オブ ニイハウ」というハワイアンのバンドがありました。

イズ(IZ)の音楽活動の歴史


イズラエル・カマカヴィヴォレは1959年5月20日ホノルル生まれ。

1976年、17歳の時に兄と仲間と結成した、「マカハサンズ オブ ニイハウ」に参加。

それまでハワイでは、パパハオレ・ソングといわれる白人が作るハワイアンミュージックが優勢だったので、
彼らハワイアンによる本当のハワイアンミュージックは人気を博しました。

1989年にソロになり、
1993年に発売された「Facing Future」が大ヒット。

日本でもハワイを紹介する番組などで、
イズの歌声を一度は耳にした事があるはずです。

人々に愛された、ハワイアンのレジェンド


ハワイでヒットした「Hawaiʻi78」で彼は、
「かつての王が今のハワイを見たらどう思うだろうか」と歌い、ハワイアンのアイデンティティに問いかけました。

1997年 6月26日の朝、ハワイ中に彼の訃報が駆け巡りました。
肥満を原因と呼吸器不全や以前から進行していた病により、
37歳という若さで亡くなりました。
そのときの彼の体重は、400kgもあったそうです。

その日はハワイ中が悲しみに包まれ、
遺体はハワイ州会議事堂に公開安置される特別待遇を受け、

葬儀の日には、州旗は半旗掲揚され
1万人ほどの弔問者が長い列をつくり
ブラダ・イズ(braddah =brother IZ)との別れを惜しむほどの人気でした。

その数日後、遺体は荼毘にふされ、
オアフ島西のマクアビーチに遺灰がまかれ、
集まった何百人もの人々がイズとともに泳いだ様子は伝説になっています。

亡くなってもなお人気のイズは、CDや書籍の特設コーナーがあり、
没後10周年記念アルバムが発売されたり、
2018年にも最新ベストアルバムがリリースされたりなど、
「was(過去の人)ではなくis(現在)」(IZイズと掛けている)
といわれ続けています。


マルヒア・コジマ
著者:マルヒア・コジマ
ロケラニ・ハワイアン・カルチャー・ラボ主宰 ふと手にした"マナ・カード ハワイの英知の力"をきっかけに古代ハワイへの探求がはじまり、今や古代だけでなく、ハワイの文化・歴史・神話・雑学を、大学の特別講義や各地のカルチャースクールなど、飛び回り語っています。ありがたいことに、はや14年。 約5,000件のサンプルから統計を取った、独自のマナ・カードの解釈を理論的に教えており、日本だけでなく現地ハワイにも生徒を持つマナ・カード講師の顔と、 そのマナ・カードを使ったセラピーでは、世界各地にクライアントが存在する、行列の出来る熱血マナ・カードセラピストでもあります。 古代ハワイの叡智(フナ)を残していく事に情熱を傾けています。 ブログ  マナ・カードとハワイアンカルチャー インスタグラム

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