ハワイ王国のカラーカウア王は陽気な王様!?今年で第183回目のバースデーセレブレーション!

ハワイ王国のカラーカウア王は陽気な王様!?今年で第183回目のバースデーセレブレーション!

参照:イオラニ宮殿公式HP

皆さまアロハ!
11月のハワイは、ハワイの王族の記念日が多くあります。

その中でもハワイ各地でお祝いされる、ハワイ王国時代の王様のお誕生日のセレブレーションは大変盛り上がります。
今回はハワイ王国第7代カラーカウア王についてご紹介します。

ハワイの陽気な王様

メリー・モナーク(陽気な王様)と呼ばれたハワイ王国第7代カラーカウア王。

ハワイ島で行われるフラの競技会「メリーモナークフェスティバル」や、
ワイキキのメイン大通りの「カラーカウア通り」はこの王様のお名前です。

1836年11月16日、オアフ島のパンチボウルの近くで誕生し、今年で183回目の誕生日です。

ハワイ王国第7代王として、故カメハメハ4世の妻エマ・ルーク王妃と選挙で戦いハワイ王になりました。
白人主導で近代化していくハワイで、野蛮だという理由で宣教師から禁止されていたフラダンスなどハワイでの古くからの文化を後世に残すために尽力された王様です。

音楽やパーティ、お酒が好きで酔うととても陽気だったそうで、そこからメリーモナーク(陽気な王様)と呼ばれるようになりました。
王ご本人は、ハワイ王国が政治的にとても不安定な時期に即位したためか、「陽気でいられたことはなかった」と仰っていたとかいなかったとか。

才能豊かな王様とその家族

カラーカウア王をはじめ彼の兄弟姉妹は音楽の才能豊かで、現ハワイ州歌のハワイ ポノイ(Hawaiʻi ponoʻī)はカラーカウア王の作です。
彼ら四人兄弟姉妹はナーラニエハー(王家の四人)と呼ばれ、彼らの歌を集めたCDも出ているくらいです。

他にも王は、発明家を志していた頃もあり、王の「発明ノート」も現存しています。

世界初!王様の世界一周旅行

今までの王様の中でが世界一周旅行をしたのは、カラーカウア王が初めて。

1881年(明治14年)には日本も訪問されています。文明開化の頃ですね!
横浜港に着いた王を日本側は盛大な祝砲と「ハワイ ポノイ」の演奏でお出迎えし、王はいたく感激されたそうです。

世界一周の出来事は当時国務大臣として旅を共にしたアームストロング氏が手記を残しています。王のご様子がとてもよくわかる面白い内容です。

キング・カラーカウア・バースデー・セレブレーション

旅から戻った王は、1883年に現アメリカ唯一の宮殿であるイオラニ宮殿で戴冠式を行っています。
実は、イオラニ宮殿の建設や戴冠式に合わせてカメハメハ大王像を建てたのもカラーカウア王。

イオラニ宮殿は、ホワイトハウスより早く電気が灯り電話や水洗トイレなど当時の最先端を行く設備が完備されていました。
豪華な調度品、シャンデリアの元で盛大な舞踏会や晩餐会が催されたそうです。

旧ハワイ王国のイオラニ宮殿で、今年も王のバースデーセレブレーションが行われました。
ハワイの旗やカラーカウア王の旗が飾られ、カメハメハ3世時代から続くロイヤル・ハワイアン・バンドの演奏やロイヤル・ガード(近衛兵)によるセレモニーなどが無料で楽しめます。

王のバースデーセレブレーションは、毎年11月16日なのでその頃にハワイに行く時があればイオラニ宮殿へ足をお運びください。

マルヒア・コジマ
著者:マルヒア・コジマ
ロケラニ・ハワイアン・カルチャー・ラボ主宰 ふと手にした"マナ・カード ハワイの英知の力"をきっかけに古代ハワイへの探求がはじまり、今や古代だけでなく、ハワイの文化・歴史・神話・雑学を、大学の特別講義や各地のカルチャースクールなど、飛び回り語っています。ありがたいことに、はや14年。 約5,000件のサンプルから統計を取った、独自のマナ・カードの解釈を理論的に教えており、日本だけでなく現地ハワイにも生徒を持つマナ・カード講師の顔と、 そのマナ・カードを使ったセラピーでは、世界各地にクライアントが存在する、行列の出来る熱血マナ・カードセラピストでもあります。 古代ハワイの叡智(フナ)を残していく事に情熱を傾けています。 ブログ  マナ・カードとハワイアンカルチャー インスタグラム

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