【ハワイからお届け】第1弾 ハワイ州政府ビル知事室プレスルームの肖像画を見てみよう!
ダウンタウンにあるハワイ州政府ビル。最上階の4階に知事の執務室がありプレスルームが併設されています。
このプレスルームには過去6代にわたる州知事の肖像画が飾られていますが、その州知事を紹介する1回目です。
今回は第2代から第4代までの州知事をご紹介します。
もくじ
ハワイ州第2代知事 ジョン・アンソニー・バーンズ(1962年~1974年)
会見台に向かって左側手前に飾られているのが、ハワイ州第2代知事を勤めたジョン・アンソニー・バーンズ(John Anthony Burns)の肖像画です。
彼は陸軍軍人の父親がオアフ島配属となったためハワイにきましたが、その後カンザス州の叔父の元へ預けられました。
彼が再びハワイに来たのはハワイ大学に進学した時のこと。
ホノルル警察に勤務し署長として活躍した後、民主党から政治の世界に入りました。
ハワイ民主党の議長を経て米連邦議会下院議員を務めた後、州知事を目指しますが、現職のクイン候補に敗退。
しかし1962年に行われた知事選でクイン候補を下すと、3期に渡って州知事を務めました。
性別による差別をなくし、公務員の団体交渉権やストライキを認めるなど、リベラルで進歩的な社会を作ることに尽力。
またホノルル空港をジャンボジェット機に対応できるよう拡張し、ジョン・A・バーンズ・フリーウェイと呼ばれているH-3フリーウェイを建設、また現在の州庁舎を建設するなど、多くの業績を残しています。
ハワイ州第3代知事 ジョージ・リョウイチ・アリヨシ(1974年~1986年)
会見台に向かって左側の中央にあるのが、ハワイ州第3代知事のジョージ・リョウイチ・アリヨシ(George Ryoichi Ariyoshi)です。
彼は福岡県出身の移民の父を持つ、ホノルル生まれの日系2世。
父親は船乗りとしてハワイに移民し、ハワイ各地をビジネスマンとして飛び回っていました。
そのため息子のアリヨシ氏も小、中、高校とオアフ島内の様々な学校に通っていました。
高校時代から弁護士を目指していましたが、第2次大戦中に日本語の翻訳士として招集され、ハワイに戻るとハワイ大学へ進学。
続けてミシガン州立大学、ミシガン法科大学院で学んだ後目標としていた弁護士になりました。
ジョン・アンソニー・バーンズ民主党議長の下で行われた選挙でハワイ準州下院議員に当選し、その後準州上院議員にも選ばれました。
3期目を迎えたバーンズ知事の下では副州知事にも選ばれ、がんを患っていた州知事の代理として、ハワイを支えました。
1974年の知事選挙においてハワイ州第3代知事に就任。
米国初となる日系アメリカ人知事として注目され、3期に渡って知事を務めました。
水産物の養殖やエネルギー研究、史跡の保護などへの援助を積極的に行ったほか、景気後退を経験しながらも観光業の成長を支えました。
ハワイ州第4代知事 ジョン・デイビッド・ワイへエ Ⅲ世(1986年~1994年)
会見台に向かって左側の一番奥に飾られている肖像画がハワイ州第4代知事ジョン・デイビッド・ワイへエ Ⅲ(John David Waiheʻe Ⅲ)です。
ハワイ島ホノカア生まれの彼は、ミシガン州のアンドリュー大学で歴史とビジネスについて学びました。
ハワイへ戻りハワイ大学のウィリアム・S・リチャードソン・スクール・オブ・ローの第一期生として法律を学びます。
ワイヘエ氏はハワイ州憲法制定会議に参加しており、ハワイアン問題対応事務局の設立にも携わりました。
政治の世界に足を踏み入れたのは1800年のことで、ハワイ州下院議員に当選。
3期目を迎えたアリヨシ州知事のもとで副知事を勤めた後1986年に行われた知事選挙で勝利し、ハワイアンの血を引く州知事がはじめてハワイで誕生しました。
ワイへエ州知事はハワイ王国が転覆させられたその日から100年目となる1993年1月17日から4日間に渡って州の建物にアメリカ国旗を掲揚することを禁止。
このとき大勢のハワイアンたちが主権回復の声をあげデモ行進したことなどもあり、当時のクリントン米国大統領がハワイ王国の転覆をアメリカがもたらしたことに正式に謝罪しました。
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今回は第2代知事から第4代知事までご紹介しました。
ハワイがまだアメリカ準州の時代、州知事は大統領から任命されていました。
さらにこの時代の知事はすべて白人でしたが、ハワイ住民による選挙によって知事が選出されるようになると今回ご紹介したような日系人やハワイアンの知事が誕生するようになったのです。
次回のコラムでは、第5代から第7代までの州知事をご紹介しますので、お見逃しなく!